桜井翔ヘソピ論
2003年1月22日




桜井翔の身体の中心に光るピアス。
あのへそに光るピアスの存在が桜井をどの程度救ったのであるか、
それを勝手に凪さんが推測したものである。

お手持ちの資料を拝見いただきたい。(持ってないとか言うな。笑)
「2003年1月16日 読売新聞に挟まれていた zipzap」。
資料をお持ちでない方はデビュー当時の彼へのインタビュー、もしくは慶応大学入学時を思いだし下さい。

資料の3段落4行目「ジャニーズ事務所に入ったのは中学二年。ダンスが好きだったからだ。」から桜井のプロフィール、
4段落目1行目から「一方、私生活では幼稚舎からの慶応ボーイでもある」と対比で描かれている。
そして結びに「非日常の芸能界にあって、地に足の着いたアイドルである」と締めくくられている。

なんつーかコレは桜井の典型的なインタビュー内容。
「アイドルである」といいつつ「実は・・・」と慶応生であることを明かす。
そして「芸能活動と学業の両立」という単語がキーワードになり締めくくられる。
(このインタビューでも↑の言葉が“きちんと”使用されている)

どれもこれも恐らく一つも間違いなんぞ存在する余地がない、
隙のないインタビューであることは間違いない。(と、思う)

が、このあまりにも完結された桜井翔へのイメージに桜井自身は息苦しかった時期があったんぢゃないかと思う。
世間が見ている自分自身のイメージと、自分が思う自分自身とのギャップが大きければ大きいほど、
多ければ多いほど、少年桜井翔は先行した自分へのイメージに身動きが取れなくなってしまったのではなかろうか。

それも桜井に付いたイメージは「慶応生」に付随するものばかり。
桜井翔がアクションを起こしたことによる評価や批評ではない。
これは一般的「慶応幼稚舎上がり」のイメージを個人個人思い浮かべていただいた方が話が早いと思うので、凪さんの方からは何も言わない。
学歴と偏差値が絶対視されている社会で“普通に”(と、言っても彼の普通はやはりブルジョワ世界)生きていく上で
「慶応幼稚舎上がり」が有益になるかもしれないが、“アイドル”として生きていく桜井翔にとって一体何になりうるか。

何もならないならまだ桜井は救われたのかもしれない。
ただ「ジャニーズ」であるがゆえに「何か」の要素に「慶応生」というのはなってしまうがゆえに桜井翔は苦しんだ時期があるはず。
確かインタビューで荒れてた時期の話をしていたと思うけど
(「センター街で友達は普通に遊べても俺は遊べない」とか「普通に出来るはずのことがオレは出来ない」みたいなコメント)
あの時がこの時期であったと、思う。
アノ頃の桜井はとんがってた。(と、思う。
何か色々聞いた気がする。
思い通りにならない自分と自分へのイメージと他人からかけられるおかしな期待の目、好奇の目。

そう、桜井は「慶応」ってトコがネックになって仕事制限されたり、
おバカさんばっかのジャニーズん中で別の将来への可能性があるからひがまれたりもしたんだろうし
(こんなとこにいなくてもいいだろう?みたいな?)
んでもって学校行けば「ジャニーズ」って事でそれなりに色々言われたんだろうし、
だって上がりのプライドの高さはエベレスト級。ハハハ・・絶対付き合いたくねー男の群れだよ。
両親だって何も言わない・思わないなんて事はなかっただろう・・・
(弟が生まれた時期がなんともね・・・)

「ジャニーズ」にも「慶応生」にも属せないまま
「慶応生」ってラベリングされた商品桜井翔はげーのー界ではうまく利用され、
学校では邪魔者異端扱いされたんぢゃないかな。(これは推測だけど)
荒れて乱れたげーのー界で慶応ブランド「安全・安心」を売りますみたいなね。
(今で言う菊川怜みたいな存在よね。頭がいいと間違いを起こさないとか、常識を知ってるとか勝手な想像だよ)
世間が「慶応」ってブランドに勝手に抱いているイメージをそのまま桜井が引き受けてる。
それも「ジャニーズ」って別のブランドそれも対極ブランドも背負いながら。
(というか、「ジャニーズ」ってブランドがあるからこそ桜井の「慶応」ブランドが引き立つんだけど。)

桜井的にそれは大分息苦しいんではないか、と。
世間に見られる自分と自分が思う自分へのギャップなんてもんは、
一般人でも多少はさいなまれる悩みの一つだと思うんだけど、
特に桜井のように、絶対的分母の多い場所で自分を「見せる」人は、
当然分子にくるはずの“自分が思う自分とは違う「桜井翔」をイメージする人間”の数も多くなる。
それってすっごく桜井翔にラベリングされた「慶応」「ジャニーズ」ってのが影響してると思うんだよね。
「慶応生」なのに「ジャニーズ」なのか「慶応生」だけど「ジャニーズ」なのか、そんなんはどっちでもいいんだけどね。

「慶応生」だから
「慶応生」なのに

うん、この接頭語が桜井をどれくらい窮屈にしただろう。

その風穴が「ピアス」だったんぢゃないかな。
それもヘソ。
耳ぢゃ当たり前だからヘソ。
「慶応生桜井翔」の期待を小さく裏切る風穴。
それが「オレ実は昔タバコ吸ってました。」とかぢゃ犯罪だし、
「オレ、暴れん坊でした」ぢゃそりゃまたイメージ崩しすぎるし、
「オレ、実は赤ちゃんプレイ好きな甘えん坊です」ぢゃ疑いもたれすぎるし、
この「軽く期待を裏切る」心地よさの加減がちょうど桜井翔には「ヘソピ」だったんぢゃないかな。

お手持ちの資料Q&Aラスト。
Q「アクセサリー好きと聞きました。」
A「そうでもないですよ。指輪とネックレス、ピアスくらい。
  
実は、へそにピアスをしています。」

このラストに「実は」ってのが桜井翔のフローチャートのような人格決定を惑わすベクトルになってるのではなかろうか。
最後の「A」って言うゴールの一歩手前にそれまでずっと1本しかなかった矢印を2つに増やすそんな役割をこのヘソピはしてる。

そしてこのヘソピは膨らみすぎた「慶応生アイドル」桜井翔の世間の期待の空気口でもある。
優等生のヘソピは期待が「パンっ」と破裂するほどの破壊力はなくとも、期待が「すーっ」と周りの人間が気づかないように抜けて、
常に同じ大きさを保っていることが出来るような小さな穴を開けることが出来て、桜井が押しつぶされない程度の緊張感ある期待を与え続けることが出来る。

そして「慶応生桜井翔」の生き様に最後に疑問を投げかける布石。
決まりきったインタビューのラストに見せるほんの少し確信に迫った桜井翔を見せることで相手に余韻を残すヘソピ。

ヘソピってのは「桜井翔という巧妙なトリック」のタネなんぢゃないかな。
って、ちょっと思ったりして。

そんな感じで凪さんの桜井ヘソピ論。















はっぴばーすでー21歳のしょーくん。









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